10月 17, 2011 - OTHER    No Comments

大人の誤解

「本当の空がある」と詠われた故郷の県を離れて、たしか25年ほどになる。

実家が引っ越したので、もうそこに家があるわけではないのだが、まだ学生の頃は、撮影地からそう遠くなかったので、ついでに良くバイクで立ち寄った時期もあった。

しかしその後は、数年から十年に一度のような割合で、近くを通るときに通り過ぎる程度だったと思う。

 
そんな頃だった、変化は30代後半に突然訪れた。
その頃はすでにバイクではなく、車での訪問だったが、やはり何年ぶりかだった。 しかしそんなことはどうでも良いぐらい、その訪問はそれまでとはまったく違っていた。

驚いたことに、子供の頃から見慣れた風景のほとんどが、半分に小さくなっていたのだ。 通りの幅、裏山の高さ、家から家までの距離、公園の階段の段数にいたるまで… 前回まで見ていたよりも、まるっきり半分になっていた。 ただ不思議なことに、立ち並ぶ家の大きさと、電柱の高さは変わらないのだ。

子供が大人に成長したときに、周囲のサイズが小さく見えるという話しは普通によく聞くが、前回来たときだってたぶん20代の終わりごろだから、もう十分大人だったし、その前にも頻度は少ないとはいえ、何回か訪れていて、そのときはキチンと、子供の頃と同じ「倍のサイズ」があったのだ。

 
これはいったいどういうことなのだろうか?
子供の記憶の、保存期間が急に切れたとでも言うのだろうか? それにしても大人になってから、公園の周囲をバイクで走った距離感まで、半分になっていると言うのは、あまりにおかしくはないだろうか?(たとえて言えば、以前はアクセルを二回噴かしたところに、一回で着いてしまうような感覚だ)

これが数年前の話しだ。
その後はまだ、そこへ行ったことは無い。

 
誰もが同じ頃とは限らないが、大人になってからでも、突然常識が覆される、ある種の感覚が劇的に変化する時期と言うものがあるのかもしれない。 と、いまのところは考えている。

でも、もしそうなら、そしてそれが、この先もまたありえるのであれば、
どんなに成功しようとも、どんなに勉強しようとも、「俺はもう大人だ」なんて台詞は、死ぬまで言えなくなるのかもしれない。

次にまた私がここを訪れるとき、故郷は私にいったい何を見せてくれるのだろうか。

私は、それが見てみたい。

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